《読書感想》『悩む力』姜尚中|未熟な私が親になってもいいですか。

《読書感想》『悩む力』姜尚中|未熟な私が親になってもいいですか。

2025/1/15

とある日曜日、私は親になりました。

妊娠、出産と駆け抜けて、必死で生み出した新しい命を抱きかかえた時、ふと、自分自身が生きる社会についてあまりにも無知であることや、親になった今でも、自身の生きる意味について納得のいく答えを持ち合わせていないことに、たまらなく不安を感じました。

こんな私で、この子を守り抜いていけるだろうか。
こんな私で、この子を導いていけるだろうか。

そんな漠然とした不安を心に抱きつつ、初めての育児に奮闘していたとき、学生時代に購入したであろう一冊の本が目に入りました。

恥ずかしながら、購入したものの読まずに放置されていたその本を手に取り、授乳の合間に読み進めました。

分からないなら、本を読んでみよう、そんな気軽なきっかけで読書をはじめた私の読書記録です。

『悩む力』(著:姜尚中)を読む。

2008年に初版が発行され、100万部を超えるベストセラーにもなった姜尚中著『悩む力』。


情報ネットワークや市場経済圏の拡大にともなう猛烈な変化に対するストレスが社会を覆いつくしている影響で、かつてないほどの孤立感に悩まされている現代人に向けて書かれた、「悩み抜くこと」の意義を示した一冊です。

著者は、グローバリゼーションやデジタル技術の進歩によって、これまでかつてないほどの「自由」を私たち現代人が手にした一方で、その「自由の拡大」に見合うだけの幸福感安心感を味わっているかについて疑問を投げかけます。

誰もが繋がっているように見えながら、人と人との関係は希薄になり、孤立感にさいなまれているのではないか。変化を求めながらも、急激な変化に耐える苦しみを抱えているのではないか。

そんな現代人の不安感に寄り添うべく、著者は百年前にこうした苦しみに直視した夏目漱石マックス・ウェーバーをヒントに、最後まで「悩み」を手放すことなく真の強さを掴み取る生き方を提唱します。

未熟なまま親になってもいい。大切なのは、悩み抜くこと。

親になるには、まずは自分自身がきちんとした大人にならないといけない。
漠然とそう考えていました。

しかし、実際はそれなりに日々を一生懸命生きていても、自分がきちんとした大人になった実感自信を持つことなく、気づけば妊娠、出産のタイムリミットがせまってきました。

タイムリミットに背中を押される形で、未熟なままの私はわが子を産み、今、育てています。
人格者でも、成功者でもない私が、人間の親を全うできるのか、不安に感じていました。

そんな中、この本を読み、立派な政治学者である姜尚中氏でさえ、30歳くらいまでは、等身大の悩みを抱えていきていらっしゃったこと、そして、その後年齢を重ねていっても、それぞれの場面で悩み続けてこられたことを知り、心底ほっとしました

悩んでいるのは、私だけではないのだ、と。

私が人と比べてあまりにも未成熟だから、こんなにも悩んだり、不安になったりするのではないかと感じていたのですが、そうではないということが、まず第一歩、私を肯定してくれました。

悩みながら、答えを探しながら、生きていてもいいんだと考えられるようになりました。

大切なのは、悩みを放棄するのではなく、悩み抜くこと。
その時々の自分の答えが、自分を強くしてくれるから。

軽やかに生きられる人は、悩みを持つ私たちに「気にしなければいい」と言います。

けれど、社会構造、人間関係をはじめ、あらゆるものが複雑化した現代において、ただ自然の摂理に従って生き、死ぬことはとても難しいものだと姜尚中氏は言ってくれます。
悩みがあることは自然なことなのだ、と生きづらい私たちに寄り添ってくれるのです。

人間のサイクルの律動みたいなものに身を任せて、疑問なく生きて、疑問なく死んでいくことはもはやできない(p152)

この文章を読んで、その通りだな、と思いました。
悩みがあることを受け入れ、常に悩みながら自分らしい答えを探していくことが生きることなのですね。

「人間的な」悩みを、「人間的に」悩むことが、生きていることの証」(p190)

この言葉を胸に刻み、今日も生きることと向き合いたいと思います。

承認欲求は自然なことだ。

もうひとつ、この本を読んで私の心を軽くしたエピソードがあります。

それは、承認欲求についてです。

誰もが発信者になれるこの時代、InstagramをはじめとするSNSで「映え」や「ルッキズム」が台頭し、誰もが「いいね」を渇望しているような気配を感じます。


その一方で、そうした活動をする人たちに向けて、「承認欲求が強すぎる」と揶揄する動きもあります。

その結果、「認められたい」という気持ちそのものが恥ずかしい、自意識過剰であるというように感じてしまう雰囲気があるように思います。

けれど、「頑張ったら認めてほしいと思うこと」それはとても自然と沸き起こる感情です。その感情を押し込めながら、認められたいなんて微塵も思っていない風を装うと、今度は労力を他者にやすやすと搾取されてしまったりします。

自分の中から溢れる承認欲求に気づかれたくないという感情と、搾取されたくないという感情のはざまで、私たちは心をすり減らしているような気がします。

少なくとも、私はそうでした。

一途に一生懸命頑張りたいという気持ち、何かにチャレンジしてみたいという気持ち、そんなキラキラした前向きな感情が生まれても、「承認欲求すごいね」と笑われたらどうしようと思うと、すぐにその感情はしぼんでしまうのです。

著者はこの本の中で他者から承認されたいという気持ちは自然なことだと伝えています。

自分自身というものは、自分だけでは成立しないといいます。

自我というものは他者との関係の中でしか成立しないからです。すなわち、人とのつながりの中でしか、「私」というものはありえないのです。(p38)

さらに著者は、そもそも生きることも死ぬことも、人とのつながり方を考えて、その意味を確信できたときに重みを取り戻すとまで書いています。

人が相互に承認し合うことで、人は自分を認識することができ、安定する生き物なのだということを明確に示してくれた本書は、「人に認められたい」という気持ちを肯定する一助となりました。

もちろん、「映え」や「ルッキズム」に疲れるほど振り回される必要はないけれども、頑張った成果を誰かに褒めてもらいたい気持ちや、自分を誰かに見つけてもらいたい気持ちを大切にしてもいいのだと思えるようになりました。

こうして私が自分の気持ちを整理するためにも文章を書き、公開してみようと思えたのも、誰かと共感できたら嬉しいという気持ちを肯定できたからかもしれません。

成人し、社会人になり、そして親になった今でも、わからないことも、悩むこともたくさんあります。もっとスマートに生きられるのだと思い描いていたのに、現実の私は、自分自身の未熟さにうちのめされたり、自分が何者でもないことを痛いほど理解しながらも、それでも、誰かに認めてほしいという気持ちを捨てきれないで生きています。

格好悪くてもいい。愚直に悩み抜こう。
そしてその迷いや悩みのプロセスを書き記すことで、ほんの少し誰かの励みになれたら。
そんな思いで文章を綴っています。

読書を終えて -悩み抜いたら横着に-

意外なことに、本書の結論として著者は、「悩み続けて、悩みの果てに突きぬけたら、横着になってほしい。」(p177)と書いています。

悩めば悩むほど慎重になってしまいそうですが、著者は悩みの先に大胆な行動力を見ていることは、私にとって励ましとなりました。

「くよくよ悩んでいないで、行動しなよ」

悩んでいると、そんな言葉をもう一人の自分がささやきます。
悩んだってどうせ答えなんて出ない。正解なんてない。
だからさっさと行動あるのみ。それはきっと真理です。

けれど、きちんと立ち止まって、自分の悩みと向き合いたい気持ちも本当です。
そんな時に、悩み抜いた先に横着なほどの行動力が発揮できる未来があるのであれば、大いに悩み抜こうとどっしり構えられる気持ちがしました。

本書は2008年に出された本であるため、出てくる例えに少し古臭さも感じますが、普遍的な内容なので、今でも十分面白く読むことができます。
悩むことに悩んだら、ぜひ手に取ってみてくださいね。

ひとつ残念だったのは、この本には夏目漱石の作品から多く引用がされているので、漱石作品に通じていれば、もっともっと奥深く読むことができただろうと思う点です。

あいにく、私は漱石作品は『こころ』しか読んだことがないため、『こころ』の引用部分は非常に立体的に記述を読み進められたのですが、他の作品の引用部分については、作品の内容をふんわりイメージしながら読むに留まってしまいました。

知っていれば、もっともっと楽しめただろうと悔しく思う一方で、夏目漱石作品を読んでみたいと思うきっかけにもなったので、これはこれでよかったと思うことにします。

夏目漱石って、大成功した文豪だと勝手に思っていたのですが、姜尚中氏によると、悩みに悩み抜いた不器用な人だったようですので、少し親近感が沸きました。

不器用で未熟な私は、悩みが尽きない親であり続けるでしょう。
でも、それでもいい。悩み続けながら、わが子に寄り添っていこうと思いました。