本をたくさん読む子になって欲しいなあ、なんて、生まれたばかりの我が子に授乳しながら願ったりしています。
子に望むなら、まずは親から、ということで、意識的に読書をすることにしました。
ところで、そもそも読書ってどんな本を何冊読めば効果があるのでしょうか。
もちろん読書は楽しいし、たとえ具体的な効果なんてなくても素晴らしい経験ではありますが、「本を読めば賢くなる」というイメージがありますし、せっかくなら効果的な読書がしたいですよね。
そんな時に手にとった齋藤孝著『読書力』(岩波新書/2002年初版発行)。
読書初心者の私の道しるべになって欲しい、そんな思いで読み進めました。
読書で得られる「読書力」とは
著者は、読書は「自己形成のための糧」であり、「コミュニケーション力の基礎」となると言います。
文章を書く能力は、読書によって培われることや、思考力の重要な部分を読書経験に負っていることを指摘し、読書の重要性を示します。
考えるということを支えているのは言葉の豊富さであるという著者の指摘は、まさにその通りであると思います。
知らないことは考えられないし、言葉にならないモヤモヤした感情も、表現する言葉を知ると整理できたりしますよね。さらに、感情的にも冷静になれたり、人に的確に伝えることができたりと言葉は私たちの思考を支えてくれている実感があります。
それに、何かに感動したときの感想が、「すごい」「やばい」以外に見つからないというのも寂しいものですよね。
彩りあふれる言葉で、感動を人に伝えたいし、より細やかな部分まで人と感性を共有したい。
そんなときにはやっぱり、豊富な語彙が必要です。
豊富な語彙によって、自身の感情や感覚を言語化することで、自己理解が深まり、さらに言葉で自身の思いを表現できることがコミュニケーション力につながるのですね。
また、著者によると、読書は自己肯定感をも高めてくれる効果があるようです。
優れた著者の本を読んでいるときの自分は、自分でも肯定しやすい。自分を肯定する自己肯定感は、自分自身に向き合うときよりも、何か素晴らしいものに向かっているときに感じやすい。(p70-71)
私は自己肯定感が低めで、いつも不安や自信のなさに思い悩んでいる人間なので、自己肯定感が上がるという効果には期待が高まります。
確かに、本を1冊読み終えたときの達成感や充実感は、巷にあふれるネットニュースを読み終わったときの比ではありませんし、実際知識も増えている実感があるので、読書を意識的に継続していけば、メンタルも安定しそうです。
読書力は、まさに社会を生き抜くために必要な力と言えそうですね。
どんな本を何冊読めばいいのか
著者が「読書力がありさえすればなんとかなる」と断言しているほど、人間にとって必要不可欠な「読書力」。
ぜひ身につけたいところですが、どうすれば読書力が身につくのでしょうか。
それについて著者は、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」状態が読書力がある条件としています。
ひゃ、百冊!?とその量にも驚くのですが、さらに、ただなんでもよいから百冊読めばいいというものでもないらしく、著者いわく「精神の緊張を伴う読書」が必要とのこと。
簡単に言うと、娯楽的な楽しい読書ではなく、自分にとってちょっと読むのが難解だと感じるレベルの読書をすることが必要なのだとか。
簡単な娯楽小説や同じ作者の本ばかり読んでいても、読書力はつかず、選ぶ文庫は「新潮文庫の百冊」のようなものが適しているとのこと。
そのような文庫に収められている良質な文学に多く触れることで、読書習慣をまずは身につけ、そのあと新書から上質な知識情報を得ることが望ましいといいます。
中学高校時代に文庫百冊、大学時代に新書五十冊を達成するとよいとのことですが、私はとっくに大人になってしまったので、これから地道に読んでいきたいと思います。
それにしても、中高時代に膨大な読書量をこなしながら東京大学に進学した著者が天才すぎて、ぽかんと口をあけながら「すごい、、、」とひとりごち、著者を遥か遠くに感じてしまったのも本音です。
骨太の難解な本を読むのは、楽しい誘惑がたくさんある学生時代にはなかなか難しかったなあ、と自身の記憶を思い起こしながら、それでもそれだけの読書をこなすことができていたら、大学での学びがもっとずっと奥深いものになっていただろうとも思います。
ぜひ我が子には、読書習慣を身につけてほしい、と思うのですが、自分ができなかったことを子に押し付けるのはよくありませんので、まずは私自身が「読書力」をつけ、読書の効能の実感をもってして、読書をおすすめできるようになりたいと思います。
言葉と感覚
この本を読んで、とても好きだと思ったフレーズがあります。
新しい言葉が生まれれば、新しい感覚もまたそこに生まれる。(p121)
言葉と感覚は対立するものではなく、一体のもので、新しい感覚が共有されるとき、そこには新しい言葉が生まれるということ。
言葉は生きていて、時代に合わせて柔軟に形を変えていく瑞々しい存在であることを表現したこのフレーズが、なんだか心にしっくりと落ち着きました。
時代が進めば進むほど、私たちが日々出会う感覚も新しくなります。
もちろん、既存の言葉だけでは表現できない感覚も生まれます。
そんな時、言葉は瑞々しく柔軟で、その時々の感覚に合わせて形を変え、新しく生まれる存在だと改めて再認識できました。
実際、私たちに生じる新しい感覚を、誰かが的確に表現してくれたとき、その感覚を広くみんなで共有できるように思います。
最近で言えば、「風呂キャンセル界隈」なんて言葉も、お風呂入るのめんどくさいな~なんて日常生活のあるあるを上手に表現した新しいフレーズです。
このフレーズが生じたことで、お風呂を面倒だと思っていたのは私だけじゃなかったんだ、と多くの人の共感を集め、もしかしたら誰かの気持ちを救ったかもしれません。
私も読書を通じて豊かな語彙を身につけることで、より繊細な感覚を言葉で表現できるようになりたいです。
読書を終えて ー読書経験の先にあるものー
難しい本を読みかけて挫折してしまった、そんな経験ありませんか。
私は何度もあります。そのため、家には積読がたくさんあります。
やっぱり私には難しすぎたんだ、とそのたび自分に失望していたのですが、この著者によると、読書もスポーツと同じように、トレーニングすれば上達するそうです。
自分の実力よりも少し難しめの本をしっかり読み進めていけば、難解な本も読めるようになるんだとか。
地頭のよさだけに依存するのではないのであれば、凡人の私にも未来があるかもと期待が高まります。
この本に紹介されているような教養深い本ばかり読むことは難しいかもしれませんが、読書経験の先に見える世界を見てみたいと思います。
読書のモチベーションのひとつに、「優れた著者の本を読んでいるときの自分は、自分でも肯定しやすい」ということが記されていましたが、確かに、だらだらネットニュースを読む自分よりも、岩波新書を読んでいる自分の方が自分を肯定しやすいな、と思いました。
本格的に読書を始める前に、この本を読了するだけですでに自己肯定感が少しあがっているなんて、著者のマジックに早くもかかりはじめているようです。
また、本書は、硬派でちょっととっつきにくい印象のある岩波新書の中でも、かなり読みやすい本でしたので、読書をこれから始めたい人にぴったりだと思います。
未読の方は、ぜひ手に取って読んでみてくださいね。